話し方の苦手に対する主処方は『人は話し方が9割』(永松茂久著、すばる舎)である。話す場面のたびに苦手意識が先に立ち、過去の失敗の記憶で口が重くなっている人に向く。スピーチや議論の技術を体系的に積みたい人、研究に基づく理論書を求める人には合わず、その場合は別の棚になる。話し上手になる保証はしない。苦手意識の側から入る一冊として、副作用まで含めて渡す。
症状の見立て(どんな状態を指すか)
「話し方を根本から直したい」。月曜の開店直後、ミクはそう言った。けれど聞き直すと、症状は根本ではなく場面の形をしていた。会議で指名されると頭が白くなる。昼の雑談の輪に入るタイミングがつかめない。帰り道で自分の発言を再生しては悔やむ。この記事で扱うのは、話す場面に苦手意識が先回りして、口が重くなる状態である。
見立てで分けたいのは、症状がどの側にあるかである。話す場面そのものが重いなら、この処方の範囲でよい。会話は回るのに人付き合い全体で消耗しているなら、それは疲れの症状で別の処方になる。発言のたびに自分を責める声のほうが大きいなら、責め癖の症状が先である。
主処方の一冊と処方理由
この本を主処方にする理由は、話し方の本でありながら、技術より先に苦手意識を扱う順序を持っているからである。
- 「失敗の記憶で口が重い」という側面には、話す技術の前に、苦手意識がどこで作られたかを扱う本書の冒頭が対応する。うまく話せない原因を能力ではなく、萎縮する環境の側から見直せる。
- 「うまいことを言わなければ」という力みには、立て板に水の話術ではなく、安心して話せる関係の側から会話を捉える本書の姿勢が対応する。目指す像が「達者な人」から降りてくるだけで、場面の重さは変わる。
- 「どこから手をつけるか分からない」という漠然さには、日常の場面を単位にした短い章立てが対応する。全体を直す本ではなく、場面を選んで開ける本である。
なお、会話の具体的な運び方の中身にはこの記事では踏み込まない。それは本の中で確かめる部分であり、ここに書き写せば処方ではなく要約になる。
副作用(合わない人・効かない状況)
読み口が軽い本ほど、読後の全能感という副作用が強く出る。読んで得意になった気分のまま実際の場面に立つと、今までどおり固まって、落差の分だけ落ち込む。気分ではなく、決めておいた一場面だけで試すのが安全な用法である。
合わない人もはっきりしている。プレゼンや議論の技術を体系的に鍛えたい人には、扱う範囲が日常会話寄りで物足りない。研究の引用を土台にした理論書を求める人には、著者の経験則中心の語り口が根拠不足に映る。どちらも本の欠陥ではなく処方の不一致であり、その場合は話す技術の訓練の領域の本棚が本体になる。
代替の二冊
- 『人は聞き方が9割』(永松茂久著、すばる舎)。話す側より、まず聞く側から会話を立て直したい人向け。同じ著者の、聞く側の一冊である。
- 『伝え方が9割』(佐々木圭一著、ダイヤモンド社)。話し言葉の場面より、お願いの文面や言葉選びが主訴の人向け。書き言葉寄りの処方である。
最初の10分の読み方
最初の10分は、苦手意識の正体を扱う冒頭だけを読む。読み終えたら、口が重くなる場面を一つだけ書き出す。「会議の発言」「昼の雑談」のような短い名前でよい。次に開くのは、その場面に一番近い章である。ホナミが栞を挟むのはいつもその位置で、最初の章とは限らない。
全部読まなくてよい条件は、場面が一つ軽くなったら、である。決めた場面で以前より口が開いたと感じたら、残りの章は次の場面ができたときの在庫にしてよい。話し方の本は、読み切るより持ち越すほうが正しい使い方になる。
この悩みの本体はどこで扱う領域か
あがり症で動悸や吐き気が出る、人前を避けて生活に支障が出ているという状態は、練習ではなく診断の領域であり、専門機関に返すのが正しい順路である。
